大講堂
法隆寺西院伽藍の中心に建つ金堂と五重塔。この2つの建物の間を北へ進むと、そこにあるのが僧侶たちの研鑽の場、大講堂です。
数ある法隆寺の建物の中でも最も大きく、ひときわ美しさが際立つ大講堂ですが、これまた実際には再建されたもの。かつては金堂と五重塔により近い位置にあったものが、925年(延長3年)に落雷で焼失。それから65年後の990年(正暦元年)に新築されたのが、現在の大講堂です。
この65年という年月は、何やら意味深長です。
当時と現代では時間の感覚が全く異なりますが、それでも65年は長いと言っていいでしょう。
当時の法隆寺が経済的には決して豊かでなかったことが、そのことに表れているようです。
大講堂の内部には、が日光、月光の脇侍を左右に従えた薬師三尊像が安置されています。
当然ながらこれまた飛鳥や天平期のものではなく、平安後期の作。3体の仏様はそれぞれ檜材の寄せ木造りで、丸みのある顔立ちや肉付きのよい胴体などから、平安を代表する仏師、定朝の流れを汲むものと言われます。
大講堂では、修正会や仏性会などの、法隆寺伝統の行事が開かれます。このうち正式名称を「最勝王経讃説」という修正会は、お経が読まれ、お経の注釈が行われる学問の場。
一般人が見ることはできませんが、寒風が吹きすさぶ冬、お経を唱える僧侶たちの声がおごそかに響きわたる様子は、荘厳そのものの雰囲気だと言われます。
毎年4月8日に開かれる仏性会は、いわゆる花まつり。堂の真ん中にお釈迦様の小さな誕生仏がまつられ、甘茶を注ぐ行事が、平安時代中期から今にいたるまで続けられています。
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数ある法隆寺の建物の中でも最も大きく、ひときわ美しさが際立つ大講堂ですが、これまた実際には再建されたもの。かつては金堂と五重塔により近い位置にあったものが、925年(延長3年)に落雷で焼失。それから65年後の990年(正暦元年)に新築されたのが、現在の大講堂です。
この65年という年月は、何やら意味深長です。
当時と現代では時間の感覚が全く異なりますが、それでも65年は長いと言っていいでしょう。
当時の法隆寺が経済的には決して豊かでなかったことが、そのことに表れているようです。
大講堂の内部には、が日光、月光の脇侍を左右に従えた薬師三尊像が安置されています。
当然ながらこれまた飛鳥や天平期のものではなく、平安後期の作。3体の仏様はそれぞれ檜材の寄せ木造りで、丸みのある顔立ちや肉付きのよい胴体などから、平安を代表する仏師、定朝の流れを汲むものと言われます。
大講堂では、修正会や仏性会などの、法隆寺伝統の行事が開かれます。このうち正式名称を「最勝王経讃説」という修正会は、お経が読まれ、お経の注釈が行われる学問の場。
一般人が見ることはできませんが、寒風が吹きすさぶ冬、お経を唱える僧侶たちの声がおごそかに響きわたる様子は、荘厳そのものの雰囲気だと言われます。
毎年4月8日に開かれる仏性会は、いわゆる花まつり。堂の真ん中にお釈迦様の小さな誕生仏がまつられ、甘茶を注ぐ行事が、平安時代中期から今にいたるまで続けられています。
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