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法隆寺の歴史

法隆寺の建立は607年(推古15年)。聖徳太子が父・用明天皇のために創建したとされています。所在地は奈良県生駒郡斑鳩町。斑鳩寺という別名もあります。

601年(推古9年)に聖徳太子が斑鳩の地に自分たち一族の住居である斑鳩宮を建てた際、ほぼ同時期に法隆寺が建てられたという説もあります。

いずれにしても7世紀初頭の創建は間違いないようですが、このとき建てた寺は、『日本書紀』では670年(天智9年)に落雷がもとで起きた火災で焼失したとされています。


西院伽藍

したがって、現在も法隆寺の中心となっている西院伽藍は、焼失後に再建されたものということになります。

再建時期についてははっきりした記録はありませんが、建築様式などから、金堂が最も古く、ついで五重塔、仁王像のある中門、回廊が造られたといわれます。

また、夢殿を中心とする東院伽藍は、738年(天平10年)ごろに法隆寺の高僧行信がかつて斑鳩宮があった土地に聖徳太子を偲んで建てたものです。


法隆寺はその後もたびたび火災に見舞われ、925年(延長3年)には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失。現在の大講堂は、火災から数十年経った990年(正暦元年)のことでした。

時代が下って近世に入ると、伽藍のあちこちの傷みが目立つようになり、17世紀初頭の慶長年間に豊臣秀頼が、17世紀末?18世紀初頭の元禄 - 宝永年間には江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が修復を行っています。


法隆寺の修理

さらに時代を下って昭和時代に入ると、「昭和の大修理」と呼ばれる修復作業が昭和9年(1934年)から始められ、金堂、五重塔などが修理されました。

そして、世界最古の木造建築物である法隆寺は、1993年12月、日本初のユネスコ世界文化遺産に登録されました。